萬坊庵・つれづれの記(BLOGと演奏情報)

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2013年 11月 24日

ロドニーのサイン会

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# by ryosai160 | 2013-11-24 14:05 | diary
2013年 11月 12日

「眼」と「眼」~映画『共喰い』に寄せて

初めも終わりも無いのに、どこから書き始めればいいのか。

ヒトの間のデキゴトと、その傍らにある、時の間に流れているようで停まっているモノたちの存 在。
作品を超えて、この世界の無常と不可思議な均衡が心に湧き上がり、染み渡ってくる。

『共喰い』は、映画化の話が持ち上がったときから心待ちにしてたから、封切と同時に観に行った。
観て、先ずホッとしたのは、田中慎弥のどこまでもStill lifeを見据える「眼」が充二分に映画化されたということ。

後半のストーリーの「付足し」は、青山真治の何時もの「眼」である。
それが何であるのかは敢えて言うまい。
それは唐突で不器用であるが、青山氏の誠実さと僕は思った。

作品を観て、ディテールの批評をどうこう書く、という気には今でもなれない。
この短文を書くのに2ヶ月余りを要した。
反復と咀嚼と忘却。

# by ryosai160 | 2013-11-12 20:03 | thought/idea
2013年 11月 02日

唐津くんち宵山

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# by ryosai160 | 2013-11-02 21:30
2013年 03月 31日

ニガツサンガツ

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# by ryosai160 | 2013-03-31 00:09 | diary
2013年 02月 24日

映画『最初の人間』を観て:断片

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「そこ」に生まれて「そこ」に育ち、やがて「そこ」を出る。
「そこ」は、自分で選び取ったものではなく、与えられたものである。
しかし、「そこ」と運命を共にし、「そこ」を生き抜くことで、「そこ」を超えて無数の「そこ」に生きる人々の心に届く言葉を手にし、力を得る。

サルトルとカミュはよく比較されるが、僕の中で、サルトルの思想の場所は「実験室」というイメージがある。
カミュの思想の場所は「現場」。愚昧で粗野な人間たちが身をおく場所であり、その中でもがくしかない。高みはどこにもない。手探りで、進むしかない。だから、矛盾だらけでリアリティがある。

フランスに行った時に感じたのだけど、フランスにおける「文化帝国主義」はどうしようもなく根深いものがある。
僕は日本人だからまだ「外」から眺めることが出来るが、フランスの植民地という「内なる外」の民にとっては、フランスという「中心」は、永遠なる「異和」であるのだと思う。たとえ、「忠誠」=identifyを誓ったとしても。

顔も見ないままの「父親」、それが「最初の人間」。
自らの「中心」を求める。
「そこ」に今在るのは、「最初の人間」が・・・

# by ryosai160 | 2013-02-24 21:15 | diary