2008年 07月 20日
ウチも氏子になっている近くの神社に行く。海に面している。 ささやかなお祈りをする。最後には神頼みということなんだろうか。 お社に向かって手を合わせると、すがすがしい気持ちになるのは事実。 この神社からウチに海沿いに向かうと、「元寇防塁」の碑がある。 この戦いの時に、日本に上陸してそのまんま住み着いてしまったモンゴル兵も居るんじゃないかと、僕は思っている。僕もその子孫かも・・・・ 行列が何時も出来てて、なかなかあり付けない「安全食堂」のラーメンにあり付く事が出来たのがラッキーだった。 よく濾してあるスープが美味いし、惜しげなく掛けられた葱も新鮮。そして、麺がイイ。トッピングの紅しょうがも赤々してて、味が沁みる。食べ終わる頃に入れると、最後まで飽きが来ないので僕はこうしている。 来週、即興演奏系のイヴェントに出演するので、ノートに色々書きとめる。 昔、舞踏の人とよく一緒にライブしていた時に、彼らがノートに、色んな言葉を書き付けているのを見て、僕も、イメージや具体的な方法、機材のセッティングなどをノートして、思考を深めるようになった。必要な論文のコピーも挟んである(杉本拓「沈黙の哲学について」・・・ネットで読めるので、是非読んで欲しい。僕はもう2年ぐらい折に触れて読んでいるが、まだ完全に理解できていない)。 今回は、こんな文章を書いた。 ・・・エフェクターがフレーズの「肉付け」に陥らないように、「優しく解体」してあげたり、「ちょっと乱暴に否定」してあげたりする。 でもたまには、「歌を歌う」のもいいか。それとも、「ものみな歌で終わる」ようにするのか。 もうちょっと、場所と音の質量を実感しながら音を出して、それに対する「気配」をニンシキしてみよう。 虚無僧はそうしたハズだ。・・・ かなりスカスカの文章だが、書かないよりはマシ。 僕はもともと、思想系の人間なので、こうすると落ち着く。 そういや、「ものみな歌で終わる」って、昔愛読していた花田清輝の作品じゃなかったっけ。 まあでも・・・実際の演奏になると、「その人を見る」ことが肝心だが。頭の中の音を勝手に放出するような自己満足からは遠く離れて行きたいと思う。昔は僕もそんな感だったが。 進歩じゃなくて、どんどん「無」に近寄って行っている感覚。
by ryosai160
| 2008-07-20 00:46
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