萬坊庵・つれづれの記(BLOGと演奏情報)

manbowrec.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2010年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧


2010年 03月 28日

春爛漫

f0065630_21574643.jpg

舞鶴公園にて。
僕の春も、始まったばかり。

by ryosai160 | 2010-03-28 23:59 | diary
2010年 03月 27日

山崎幹夫の映画

『グ-タリプトラ』『夜の心』『あいたい』の3作品を、大名の「紺屋2023」で見る。
f0065630_12325145.jpg

昔からある古いビルの一室。コンクリ打ちっぱなしの少し暗い室内に、ポツッとプロジェクターが設置してある。そのカンジがいかにもインディーズという雰囲気で懐かしい。
お客さんは10数人ぐらい。自主映画上映会というカンジ。
いちいち学生時代を思い出すシチュエイション。

映画は、とにかくマニアック。
そして、そのマニアックさに痛く共感したのだった。

とにかく、自分のやりたいことをやる。
翻って僕もそうやってきたから。
今は、マニアックなだけじゃあダメだという方向性の若干の転換はある。
でも、マスとお金だけでアートも判断されがちな風潮の中にあって、小さいマニアックをコツコツと積み重ねている姿勢・・・・その小さな砦は大事なものだと思っている。

山崎幹夫氏ご本人もご来場。
柔らかい雰囲気の方だった。
もっと言えば、「ええオッサン」というカンジ。
映画自体に一般的な意味でのストーリーが無いので、ご本人の解説によって、なるほどと納得できるものがあった。
こういう映画の見せ方もアリなのではないか。
映画ってとかく消費するものという意識が変わった。

そして、僕も、今撮りためている動画で作品を作ってみよう、という衝動に駆られたのだった。

by ryosai160 | 2010-03-27 23:59 | diary
2010年 03月 22日

カネフスキーとの再会:『動くな、死ね、甦れ!』を巡るモノローグ

KBCシネマに『動くな、死ね、甦れ!』を見に行った。
マニア筋から絶賛されている名作、ということだが、僕にはどうでもよろしい。
なので、この映画と僕との個人的な関わりを記す。

20代・・・広島に住んでいた頃にタマタマ見た。
とにかく強烈な「辺境の無垢な生(たち)」の印象が残った、なんだか僕の気持ちにピッタリと来る映画だった。
その頃は、何にも当ても展望も無い生活を(ワザと)送っていて、デガダンを気取っていたわけではないが、とにかく万事やる気のなく社会に出遅れた「遅れている青年」そのもののだらしの無いテイタラク。
映画館でバイトをしてて市内の映画館なら大体何処でもタダで映画の見れるパスを貰ってたので、それを片手に、思いつきで色んな作品を見に行った。
誰が有名とか巨匠とか、殆ど知識無しで、片隅のシートに身を沈め、かったるい気持ちでストーリーも面白みも良く分からない映像を眺めていた・・・・
が、たまたま見たカネフスキーの一群の作品は、感覚的にピッタリ来たのだった。

それから10数年たっての、故郷に戻りナントカ社会にも適応した現在の僕と、カネフスキーの再会だった。

見ながら、とにかく、ため息が出た。
なんでだろう?
少しはマシになったとはいえ、「辺境」な気持ちは、今でも変わらないからか。「社会」に漂うことを覚えたと同時に何処かに置き忘れた「無垢」を思いおこしたからなのか。
はたまた、自分の「生」が、映像の中の「生」よりも遥かに安全で、それと引き換えに薄くなっているからなのか。

もっと、当たり障りの無い映画は幾らでもあるのに、ちょっと重たい再会ではあった。

by ryosai160 | 2010-03-22 23:59 | diary
2010年 03月 21日

別れの季節に

昨日は、津軽民謡の歌い手・中野みち子さんの送別会に参加した。

彼女はご主人の転勤で2年前福岡へやって来て、程なくして僕がいつもご一緒している津軽三味線の大石氏と邂逅し、お2人で演奏活動をして来られた。
大石氏の引き合いで、僕も数回、ライブでご一緒した。
ご主人はマネージャーのような感じで同行され演奏会場で何時も一緒であったというのもあり、お2人とも気さくで人間的にも凄く素敵な方達で、人見知りをする僕も話も弾み自然と仲良くなり、ご夫妻と大石氏と僕の4人で今年の初めに、姪浜の居酒屋で飲んだのだった。とても楽しかった。
その時には、こういう状況になろうとは。

地縁も無い福岡へはたまたま住むようになった・・・・ということであるけれども、そのたまたまは僕達にとってはデカかった。
青森出身で、幼い頃からご家族で音楽活動をされてきて、津軽民謡全国大会優勝の中野さんは、言ってみれば(凄くベタで乱暴な比喩ではあるが)、ニューヨークのハーレムに生まれ育ちジャズやゴスペルをバリバリにやっている黒人みたいな存在で、そういう人と共に演奏すると、やはり、本場の味、というのを感じずにはいられない。
生まれながらの青森弁のアクセントで歌われる津軽民謡は、風土、というものをリアルに感じざるを得ない声のパワーがある。九州の言葉には無いうねりとネバリを発声に感じる。
横で伴奏しながら、感銘を禁じえなかったこともあった。
そして、こういう名手と共演できて、色んなものを「現場」で吸収して学んでいける幸せを思った。
もちろん、型の決まった民謡のフォーマットの中ではあるけれども、その中で、僕は、逆説的な自由と解放を実感しながら、尺八を吹いていたように思う。
(もっとも、彼女は歌は勿論、三味線・太鼓・踊りも堪能である。)

(尺八を吹く自由、なんて本当はあり得ないのかも知れない。
音を出すその瞬間の気持ちよさと解放。
それしか無いのかも知れない。
究極的には型は要らないのかもしれない)

僕も、自分の音への思いをヨリ深めることが出来た。
中野さんという存在を通して。
もっとも、彼女は、僕とは違って、観念的に音を捉えることは一切無いと思う。
生まれながらの、風土に根ざした音楽家だからだ。
だからこそ、ヨリ刺激を受けれたのだとも思う。

福岡を離れられても、お弟子さんが沢山居られる関係もあって、度々、来られる予定だとか。
チャンスがあれば、また、ご一緒させていただきたいと願う。

by ryosai160 | 2010-03-21 16:57 | diary
2010年 03月 17日

春の訪れ

f0065630_0225621.jpg
f0065630_023473.jpg

は、夕暮れの海の空模様で分かる。

by ryosai160 | 2010-03-17 00:21
2010年 03月 14日

韓国映画『牛の鈴音』

良い映画だった。

音楽の使われ方とかちょっと不満もあったけど、全体的なトーンは、なんと言うのか、「デジタル化された韓国の原風景」という感じを受けた。
デジタルリマスターされたSP盤の音のような、不思議なリアリティ。
透かし見る感じでスクリーンを観る。

儒教社会そのままの価値観で生きる韓国の田舎の老夫婦は、頑固な夫と運命を嘆きながら夫に従う妻、という完全にパターン化された人生を送っている。
かたや黙々と働く老牛と、「朝の鮮やかな国」の田園風景が、宇宙の悠久なサイクルとエネルギーを感じさせる。
老牛の死も、そのサイクルの中の一つの点。

「人」の「思い」の輪と、「非-人」の「法則」の輪。
それらが、静かに円を描いている。時に交差したり離れたりしながら。永遠に。

観ながら深くて大きな呼吸を得る。

アタマであれこれ考えるのではない、ただ、感じ取ったら良いのだと思った。

その一方、「狂牛病・アメリカ輸入牛肉阻止」「国産牛に厚遇を」みたいな主張のデモ隊の前を、老牛(と老夫婦)がユックリと通りかかる・・・・その面白さと、あ、これは全くのドキュメンタリーなじゃないんだ、って気づく二重の面白さ。
こういう映画空間は初めて。

思い切って言ってしまえば、農業とか酪農って、実は「反自然」の最たるものなんだと気づく。
農薬を撒くにしろ撒かないにしろ、結局、「不自然」でもある。

自分の中の認識の皮が、一枚、ポロっと剥げた気がした。

by ryosai160 | 2010-03-14 23:59 | diary
2010年 03月 13日

サクラサク

天神の某所にて。
f0065630_17125889.jpg


by ryosai160 | 2010-03-13 23:56