萬坊庵・つれづれの記(BLOGと演奏情報)

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2010年 03月 21日

別れの季節に

昨日は、津軽民謡の歌い手・中野みち子さんの送別会に参加した。

彼女はご主人の転勤で2年前福岡へやって来て、程なくして僕がいつもご一緒している津軽三味線の大石氏と邂逅し、お2人で演奏活動をして来られた。
大石氏の引き合いで、僕も数回、ライブでご一緒した。
ご主人はマネージャーのような感じで同行され演奏会場で何時も一緒であったというのもあり、お2人とも気さくで人間的にも凄く素敵な方達で、人見知りをする僕も話も弾み自然と仲良くなり、ご夫妻と大石氏と僕の4人で今年の初めに、姪浜の居酒屋で飲んだのだった。とても楽しかった。
その時には、こういう状況になろうとは。

地縁も無い福岡へはたまたま住むようになった・・・・ということであるけれども、そのたまたまは僕達にとってはデカかった。
青森出身で、幼い頃からご家族で音楽活動をされてきて、津軽民謡全国大会優勝の中野さんは、言ってみれば(凄くベタで乱暴な比喩ではあるが)、ニューヨークのハーレムに生まれ育ちジャズやゴスペルをバリバリにやっている黒人みたいな存在で、そういう人と共に演奏すると、やはり、本場の味、というのを感じずにはいられない。
生まれながらの青森弁のアクセントで歌われる津軽民謡は、風土、というものをリアルに感じざるを得ない声のパワーがある。九州の言葉には無いうねりとネバリを発声に感じる。
横で伴奏しながら、感銘を禁じえなかったこともあった。
そして、こういう名手と共演できて、色んなものを「現場」で吸収して学んでいける幸せを思った。
もちろん、型の決まった民謡のフォーマットの中ではあるけれども、その中で、僕は、逆説的な自由と解放を実感しながら、尺八を吹いていたように思う。
(もっとも、彼女は歌は勿論、三味線・太鼓・踊りも堪能である。)

(尺八を吹く自由、なんて本当はあり得ないのかも知れない。
音を出すその瞬間の気持ちよさと解放。
それしか無いのかも知れない。
究極的には型は要らないのかもしれない)

僕も、自分の音への思いをヨリ深めることが出来た。
中野さんという存在を通して。
もっとも、彼女は、僕とは違って、観念的に音を捉えることは一切無いと思う。
生まれながらの、風土に根ざした音楽家だからだ。
だからこそ、ヨリ刺激を受けれたのだとも思う。

福岡を離れられても、お弟子さんが沢山居られる関係もあって、度々、来られる予定だとか。
チャンスがあれば、また、ご一緒させていただきたいと願う。

by ryosai160 | 2010-03-21 16:57 | diary


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